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4. 母の病気で一文無しに

Posted by Arry on Thursday January 9th, 2014
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Sオーナー様からのお便りの続きです。

祖父母は引き揚げ後生活の為に敷地内に鶏小屋を

立てて養鶏を始め
ました。ヤギもいました。

私達はヤギの乳を飲んでいました。




そんな頃母が植物人間になってしまいました。

五年前に家を建てたばかりだったし、
保険制度も完備されてなくて、

二年弱の入院生活で一文無しになったそうです。







そこで考えた一発逆転法







近くの町で工場の女子寮を壊すことになったけど、

バラして組み立てれば再利用できるとゆう話をどこかから

聞いてき
た祖母はやってみたいと思ったそうです。

だけど、金が無いそんな時たまたま食堂で前に座った青年が

銀行員と分かり
アパートを建てたいが、金を貸してくれるか聞いたところ、

アパートなら貸しますよと言ってくれたそうです。







その頃町内にアパートはまだ一軒もなく、完成前に全て予約で

いっぱいになったそうです。
建てた場所は家の敷地内の畑の場所で

私が十歳の時です。
その年の冬に父が亡くなりました。




鶏小屋も二世帯の借家に改造しました。

自宅の四畳半にも越境入学の高校生と中学生の姉妹を

下宿させまし
た。




アパートの大学生達に朝食と夕食を提供し始めました。

他の下宿人達も我が家に食べにきました。

それでしこたま儲けたようです。






祖母は上海の租界で暮らしていた時には、あまとゆう

お手伝いさんが二人もいたそうですが、
そんな時にもユダヤ人コミュニティに

暮らす人達の倹約ぶりとお金
儲けのセンスには舌を巻いたそうです。

修繕費を浮かせるために大抵のことは自分達でやっていました。







そして、祖父が亡くなり祖母も弱ってくるとその仕事は私に廻ってきました

元旦に手がペンキだらけの時もありました。そして、
大抵ぶーたれていました。




よしきた   親分   ガッテン承知の助だ  

といってあげればよかったのにと今になって思います。

高校の時、演劇部で大道具だったし。








言い遅れましたが、アパートは六畳一間、ガス水道付き、

風呂なし、トイレは共同とゆう物件です。

それが二十部屋で家賃は約四千円ぐらいで

スタートしたと思います




ここまで書いたら疲れたので、四千万円の使いみちについては、

又今度書きます。

Sオーナー

前回までのお話しは、あるオーナー様からのお便りにて

紹介させて頂いていますので、お時間のある時にでも是非、

読んでみて下さい。

Arry

 

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